熊本地震の被害状況

前ページの「熊本地震はこんな地震だった」では私か体験したことを中心に地震の状況を書きました。

もちろん熊本県の中でも地域によって地震の状況や被害の状況が違います。

ここでは私の住む熊本市東区の私の周辺で見た被害状況について説明します。

私の住まいは熊本市東区の中でも東寄りにあり、今回被害の最も大きかった益城町に隣接しています。

ですから今回の熊本地震においても、被害の大きかった地域にあたります。

この被害状況を見ることで「地震と家づくり」について思うこと、感じたことが数多くありました。

自分の目で見て感じたことをありのままに記述します。

もちろん私は建築の専門家ではありませんので、誤った記述をしてしまうかもしれませんが、素人の被災者の目から見た視点であることをご理解ください。

 

 

各建造物に応急危険度判定が行われる

本震の後、しばらくして周囲の建造物に「応急危険度判定」というものが行われました。

 

応急危険度判定とは

応急危険度判定は大地震により被災した建築物を調査し、その後に発生する余震などによる倒壊の危険性や外壁・窓ガラスの落下、付属設備の転倒などの危険性を判定することにより、人命にかかわる二次的災害を防止することを目的とするものです。

その判定結果は建築物の見やすい場所に表示され、居住者はもとより付近を通行する歩行者などに対してもその建築物の危険性について情報提供することとしています。

また、これらの判定は建築の専門家が個々の建築物を直接見て回るため、被災建築物に対する不安を抱いている被災者の精神的安定にもつながるといわれています。

 

建物などに赤い「危険」、黄色の「要注意」、緑の「調査済」といったB4サイズの紙が貼られていくんです。

応急危険度判定はあくまでも地震により被災した建築物による二次的災害を防止する目的で実施されるものです。

ですから、罹災証明の為の調査や被災建築物の恒久的使用の可否を判定するなどの目的で行うものではありません。

応急危険度判定は「応急危険度判定士」という資格を持った市町村の職員が行いますが、今回の熊本地震では市町村の職員だけでは手が足りず、全国の市町村の職員の方が応援に来ていました。

私の家の周りでは三重県の職員さんたちが応急危険度判定を行っていました。

赤い「危険」、黄色の「要注意」、緑の「調査済」といった紙は以下のようなものです。

これは私の近所で撮影したもので、氏名と整理番号は黒塗りしています。

ちなみに右の緑の「調査済」は我が家に貼られていたものです。

写真では見えにくいかもしれませんが、赤い「危険」の下には「この建築物に立ち入ることは危険です」、「立ち入る場合は専門家に相談し、応急措置を行った後にして下さい」と書いてあります。

それから「注記」のところに建物個別の危険箇所について記されています。

この紙は建物に限らず、今にも倒れそうなブロック塀などにも貼られています。

この赤い「危険」の紙が貼られた家屋は中に入ることが危険ですので、このお宅に住んでいる方は家で生活することが難しく、避難所や車中泊といった形で避難生活を余儀なくされています。

益城町や西原村といった被害が大きかった地域は、この赤い「危険」の紙が貼られた建築物がかなり多く、被害の大きさがよくわかります。

私の住む熊本市東区もこの赤い「危険」の紙が貼られた家屋が結構あります。

 

黄色の「要注意」の下には「この建築物に立ち入る場合は十分注意してください」、「応急的に補強する場合には専門家にご相談下さい」と書いてあります。

それから「注記」のところに建物個別の危険箇所について記されています。

この黄色の「要注意」の紙が貼られた家屋は中に入ることが制限されているわけではありませんが、家屋には多少なりとも損壊が認められ、ある程度の修繕が必要だと思われます。

この黄色の「要注意」の紙が貼られた家屋も多いですね。

私が住む地域では緑の「調査済」よりも数は多いかもしれません。

 

緑の「調査済」の下には「この建築物の被災程度は小さいと考えられます」、「建築物は使用可能です」と書いてあります。

我が家も隣の実家も幸い判定結果はこの緑の「調査済」でした。

しかし、損傷がないわけではありません。

築3年の我が家はまだしも隣の実家は築25年です。

屋根瓦は落ち、外壁や室内の壁にも無数のヒビが入っています。

それでも緑の「調査済」なんです。

信号機のイメージなら緑は安全なイメージですが、文言の通り「建築物は使用可能」に過ぎないんです。

建物を元に戻すにはそれなりの修復と費用が必要です。

応急危険度判定は建物の外観だけで判断されます。

家の中のダメージは関係ないんです。

応急危険度判定の目的は二次的災害を防止することであり、判定にはスピードが要求されます。

ですから、応急危険度判定の紙はあっという間に貼られていきました。

外観のみでの判定ですので家人に声をかけることもなく、2人組の判定員が淡々と玄関口に判定結果の紙を貼っていきます。

私の家も気付かないうちに判定結果の紙が貼られていました。

 

私の見た感じでは当たり前ですが比較的新しい家屋は外観的なダメージも少なく、緑の「調査済」が貼ってあるケースが多いようです。

築30年を超えるような家屋はさすがにダメージが大きく、赤い「危険」の紙が貼られたお宅が多いですね。

評価が分かれるのは築20年前後の家です。

1995年の阪神淡路大震災を受けて、2000年に大幅に建築基準法が改正されていますので2000年以降に建てられた築16年未満の家はダメージが少なかったのではないでしょうか。

もちろん立地条件にもよりますが、建築基準法改正前の家は建物の躯体の強さにかなりばらつきがあるように感じます。

私の隣の実家は築25年の木造で建築基準法改正前の建物になりますが、応急危険度判定は緑の「調査済」でした。

また近所のお宅も実家と同じく築25年の木造ですが、応急危険度判定は緑の「調査済」でした。

両方の家は瓦が落ちたり、外壁や家の壁にヒビが入るなどの被害はありますが、建物の躯体自体はしっかりしており、応急危険度判定は緑の「調査済」になったわけです。

両方の家に共通するのは、同じ工務店で家を建てたことです。

この工務店はもともと宮大工から始まった、仕事が丁寧で地元では評判のいい工務店なんです。

実際、両方の家と同時期もしくはそれ以降に建てられた家でも損壊の程度が大きく、黄色の「要注意」が貼られたお宅はたくさんあります。

やはり、しっかりした工務店が建てた家は、建築基準法改正前であっても構造や躯体がしっかりしているんだなと感じたものです。

 

鉄筋コンクリート建てのスーパーが倒れる

私の家の近くに健軍商店街というアーケードのある商店街があります。

熊本では結構有名な商店街で歴史のある商店街です。

しかし、全国の商店街同様、時代の流れとともにシャッター商店街化していきましたが、それでも地元の暮らしには欠かせない商店街なんです。

その商店街の中に「マルショク」という鉄筋コンクリートつくりの3階建てのスーパーマーケットがあります。

1階は食料品売り場で、2階、3階は衣料品や雑貨が販売されています。

私の家内や隣の母も頻繁に利用しているスーパーです。

私が子供の頃からありましたので、建物自体はかなり古いものだと思います。

そのスーパーが4月16日の本震で1階部分が潰れてしまったんです。

以下が実際の写真です。

 

1階部分が潰れてアーケードの柱に倒れ掛かっています

横から見ると建物が歩道まで倒れています

以前の姿は見る影もありません

道路も瓦礫で塞がれています

 

以上の写真は本震から約1週間後、恐る恐る外の出た時に撮影したものです。

マルショクが倒壊したことは噂で聞いていましたが、実際目の当たりにし今回の地震の凄さをあらためて実感したものです。

また、家内や母がいつも利用していたので、もし地震が昼間に起こっていたらと思うとあらためて背筋の凍る思いでした。

本震が深夜に発生したため被害者はありませんでしたが、もし営業時間中に地震が発生していれば、多数の死傷者は免れなかったでしょう。

 

町中が震災ゴミであふれかえる

最初の震災ゴミはブロック、瓦、外壁材など

町中が震災のゴミであふれかえれました。

最初の震災ゴミは倒壊したブロック塀や落ちた屋根瓦、剥がれた外壁などでした。

屋根瓦が崩れています

 

上記の写真のように屋根瓦が崩れたり、外壁が剥がれたり、ブロック塀が倒壊した家は無数にありました。

それらが道路を塞いでしまっていましたので、その瓦礫が最初の震災ゴミとなりました。

ゴミ収集所には驚く量のゴミがうず高く積まれましたが、行政の対応は早く、道路を塞いでいた瓦礫は比較的早く回収されました。

 

次の震災ゴミは家の中の物

道路を塞いでいた瓦礫の次は家の中の震災ゴミです。

実はこの家の中の震災ゴミも凄かったんです。

我が家はブロック塀、屋根瓦、外壁には大きな損傷がなく、瓦礫の震災ゴミは出なかったんですが、家の中からは大量の震災ゴミが出ました。

先ず各家庭で共通するのは陶器やガラスの食器、植木鉢などです。

我が家も大量の食器、植木鉢がダメになりました。

隣の実家は食器類が全滅に近い状態でした。

更に倒壊で破損した家具類、電化製品などが震災ゴミとして出されました。

特にテレビは震災ゴミとして目につきました。

本震直後は余震を恐れ家の中に入ることができませんでしたが、本震後数日経ってみんな意を決して家の中を片付け始めたんです。

最初は瓦礫で埋め尽くされていたゴミ収集所は行政が片付けた後に、今度は家庭内から出た震災ゴミであふれかえります。

次の写真は家庭内から出た震災ゴミの様子です。

奥は公園です 公園の角一杯に大量の震災ゴミが捨てられています

大通りも左右の歩道に震災ゴミが一杯です

テレビが大量に捨てられていました

 

以上は本震の約1週間後に撮影したものです。

今回の地震でこれだけの家財が失われたわけです。

あらためて地震の怖さを思い知らされます。

 

これまで説明してきた被害は私の住む地域で起こったものです。

被害の酷かった益城町や西原村ではさらに大きな被害が出ています

最後に報道されている熊本県の象徴的な被害について説明します。

 

熊本県内の象徴的な被害

熊本城の石垣が崩れる

熊本城は日本三大名城の一つで熊本のシンボルともいえる存在です。

4月14日の前震で石垣6カ所が崩れ、16日の地震で被害が拡大しました。

天守閣の屋根瓦は落ち、「武者返し」で有名な石垣も部分的に崩落しています。

また本丸の一つ飯田丸(いいだまる)は南西側の五階櫓(やぐら)の石垣が大きく崩落して床下の一部がむき出しになっています。

長塀(ながべい)、北十八間櫓(きたじゅうはちけんやぐら)、東十八間櫓(ひがしじゅうはちけんやぐら)、五間櫓(ごけんやぐら)、不開門(あかずのもん)など計13の国の重要文化財も倒壊したり瓦が落ちるなどの被害が出ました。

熊本城の再建には巨大な費用と年月が見込まれており、元の姿を取り戻すにはどれだけ時間がかかるのかさえわからない状況です。

 

阿蘇神社の楼門と拝殿が倒壊

阿蘇神社は阿蘇市にある神社で、全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社です。

火振り神事が有名で、私の母が阿蘇出身であることから私は子供の頃からとても馴染みのある神社なんです。

私に限らず、熊本県民にとても親しまれ、愛されている神社です。

国の重要文化財に指定されている阿蘇神社の2階建ての楼門が倒壊し、拝殿や3カ所の神殿も損壊してしまいました。

先日阿蘇神社に行ってみました。

言葉を失うほどの損壊で、悲しくなってしまいました。

元々の楼門は次の写真です。

これは阿蘇神社のポスターを撮影したものです

 

この美しい2階建ての楼門が次のように無残な形になってしまいました。

正面から撮った写真です

斜めから撮った写真です

裏手から撮った写真です

楼門の奥にある拝殿も損壊しています

 

阿蘇大橋崩落

個人的には阿蘇大橋の崩落が最もショッキングでした。

阿蘇大橋は国道57号線から南阿蘇につながる国道325号を結ぶ橋で、1970年12月に完成した橋長は205.96メートル、幅員は8メートル、黒川の谷底からは76メートルの高さにありました。

熊本県民は南阿蘇に向かう場合、よく利用する橋で私も何度も通った橋です。

地元の人間はこの橋を阿蘇大橋とは呼ばずに「赤橋」と呼ぶ人がほとんどです。

というのも、元々この橋の色は赤だったんです。

1971年の開通後、阿蘇大橋からの投身自殺が相次ぎ、この橋はある意味自殺の名所でした。

投身自殺が多いのは赤い橋の色がいけないとの理由からか、橋の色が塗り替えられ、自殺防止用のフェンスなどが設置されましたが、地元の人間はこの橋を「赤橋」と呼び続けています。

いい意味でも悪い意味でも熊本県民は「赤橋」に愛着があるんです。

ニュースで阿蘇大橋が崩落したと伝えていました。

それを見ていた私と弟は最初「阿蘇大橋って何」って言ったくらいです。

映像をよく見るとそれは「赤橋」でした。

「えー、赤橋が落ちた」、私も弟も絶句しました。

赤橋はそれだけ馴染みのある橋で、造りもとても立派でした。

東京の人ならレインボーブリッジやベイブリッジが東京湾に落ちたくらいの衝撃なんです。

熊本県民なら同じような感覚を持った人が多いと思います。

このことが今回の地震の凄まじさを、熊本県民に再認識させたのではないでしょうか。

 

なお、熊本地震を経験して地震への備えと対策をまとめた「地震への備えと対策.com」を公開していますのでよかったらこちらも覗いて見て下さい。

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