気象庁の震度階級で最も大きい震度7を2回も記録した熊本地震に被災しました。
この地震は、南北方向に張力軸を持つ、横ずれ断層型の内陸地殻内地震と言われています。
地震発生から2週間で余震の数は1000回を超え、この記事を書いている今(平成28年5月9日)でも強い余震が続いています。
日本列島では、周辺の海底も含めて活断層が約2,000あると言われています。
今回は熊本で地震が発生しましたが、日本のいたる所で地震が発生する可能性があるんです。
私は13年間東京で暮らしていました。
東京に住んでいたころは地震に対する意識も強く、非常用持ち出し袋を常備し、家内と地震の際はどのように行動し、どこに避難するかなどをきちんと決めていました。
しかし、熊本に帰ってからはその意識もすっかり抜け落ち、地震の対して全くの無防備でした。
実際、熊本県人は「熊本は地震がないからいいね」なんてよく話していたものです。
私に限らず、熊本の人間は熊本に地震がくるなど誰も思っていませんでした。
ここでは、私の熊本地震の体験をお話しします。
前震(平成28年4月14日、木曜日、21時26分)
私が家を建てて引き渡しを受けたのが平成25年4月13日でしたので、家を建ててちょうど3年後のことでした。
それは何の前触れもなく突然やってきました。
マグニチュード6.5、 震度7の地震に見舞われました。
その時私は家内とソファーでくつろぎながらテレビを見ていました。
最初は小さな揺れでしたので、たまにある小さな地震かなと思いました。
すると突然地鳴りとともに大きく揺れだし家内が悲鳴を上げて私に抱き着いてきました。
東京で暮らしていた時、震度5程度の地震は何度か経験していましたが、今回の揺れはそれと比較にならないくらい凄まじく尋常ではありませんでした。
携帯電話の緊急地震速報が鳴り響く中、私は家内を抱きしめるのが精一杯でした。
私も家内もソファーに座っていたため事無きを得ましたが、立っていたら転倒していたに違いありません。
地震が収まるのを待つ間、私はいつか襲ってくるであろうと言われている「南海トラフ地震」が発生したのだろうと思っていました。
もしそうだとすれば、日本中が大変なことになっているのではと思い、背筋が凍る思いでした。
ダイニングのペンダントライトがぶつかり合い音を立て、食器棚から食器が飛び出し皿の割れる音が続きます。
停電はせずテレビがそのままついていました。
揺れが収まりかけたころ、テレビに緊急地震速報が流れました。
熊本を震源とする地震で震度7、これでこの地震は熊本で発生した地震であることを悟りました。
余震が襲ってくることはわかっていたので、家内とソファーにじっとしたままテレビを見ていました。
各局の番組が地震報道に切り替わり、今回の地震の大きさが理解できたんです。
その後、頻繁に余震が続きました。
食器棚の食器だけでなく、家中の花瓶や鉢植えの観葉植物が床に落ち、家の中は冬季の破片と割れた鉢植えのドロだらけになっていました。
少しでも片付けたいのはやまやまですが、先ずは身を守るのが先決とメチャクチャになった家の中でジッとしていました。
そして、すぐさま家族の安否の確認です。
隣の実家、同じ県内で一人暮らしをしている義父、私の家の近くで暮らす妹家族に電話しますが通じません。
固定電話も携帯電話もダメでした。
隣の実家にいる弟も私もi-phoneを使っていましたのでFace Timeで連絡したらすぐつながりました。
家の中はメチャクチャだけど両親も弟も無事とのこと。
ホッとしました。
しばらくして義父とも連絡が取れました。
義父は熊本県の北部に位置する玉名市で暮らしており、揺れは凄かったものの室内のタンスや食器棚が倒れるでもなく、本人、家ともに無事とのこと。
こちらも一安心です。
妹にもやっと携帯がつながりました。
次女は家にいて無事でしたが、長女が学校から自転車で帰宅中に転んだようですが大したことはないとのこと。
これで家族全員に連絡が取れ一安心です。
余震が続きましたので、下手に動かず、家内とソファーに座ってテレビを見ていました。
全てのチャンネルがこの地震について報道していました。
私の住む熊本市東区のすぐ隣である益城町に甚大な被害が出ていることが分かりました。
益城町には友人、知人がたくさんいます。
安否が気になりますが、先ずは自分たち家族の身を守ることが優先です。
地震発生から2時間後の23時30分頃、余震は続いていましたが小康状態になったので、隣の実家に行きました。
家の躯体は無事でしたが、家の中は想像以上に酷く、食器類の大半は割れ、押し入れのものが飛び出して散乱していました。
幸い両親、弟の家族にケガはなく、週末に一緒に片付けようと話して、実家を後にしました。
自宅に戻り、深夜0時から家の片づけを始めました。
取りあえず、割れた食器や観葉植物の鉢の破片を拾い、散乱した鉢の土を片付け、掃除機をかけ、拭き掃除をしました。
終わったのは深夜3時です。
私は家で仕事をしていますが、翌日はどうしてもやらなければならない仕事があったので取りあえず、就寝することにしました。
いつもは2階の寝室で寝ていますが、再び大きな揺れがきた時にいつでも逃げ出せるよう、1階の和室で寝ることにしました。
寝ている最中も余震が続き、なかなか眠れませんでした。
翌日は余震の続く中、16時まで仕事をして、それから家の片づけを行いました。
震度7の地震とたび重なる余震があったにも関わらず、電気や水道といったライフラインは無事でした。
そのおかげでパソコンも使うことができ、16時まで仕事をすることができたんです。
仕事を切り上げて早速片付けに入ります。
2階の納戸の中もメチャクチャでしたが、取りあえず生活できるように、今日は1階のリビングを中心に片付けることにし、その他は翌日が土曜日でしたので週末に片付けることにしました。
深夜に割れた食器や観葉植物の鉢の破片を拾い、散乱した鉢の土を片付けていましたが、陶器の細かな破片がまだあちこちに散乱していました。
ケガをしないように、掃除機で陶器の破片を掃除することから始めました。
そして、よく見ると大きな食器棚と冷蔵庫が50センチ以上前に飛び出していました。
これを見ていかに凄まじい地震だったかが分かります。
食器棚から飛び出した食器はほとんどが割れていましたが、食器棚にはまだ多数の食器が残っていました。
食器棚を元の位置に戻すためには、食器を全て食器棚から出さなくてはなりません。
家内と手分けして食器棚から食器や食材を全て取り出し、リビングの床に並べました。
我が家の食器棚はパモウナでオプションを増設しているので幅は2メートル以上あり、食器を抜いて空にしてもかなりの重量があります。
家内と少しずつ移動させ元の位置に戻しました。
これだけでも一苦労です。
冷蔵庫も元の位置に戻し、リビングの床に並べた食器を全て食器棚に戻しました。
そのほか、リビングのサイドボードもかなり位置がずれており、食器棚同様、中味を全て抜いて位置を元に戻し、それから中味を戻しました。
こんなことをしていると、あっという間に時間が経過し気が付けば21時をまわっていました。
前日、深夜まで片づけをして寝ていない上に、今日の作業で心身共に疲れてしまい、翌日が週末であったことから「続きは明日にしよう」と家内と話し、それから遅い夕食になりました。
お酒大好きの私は、気分転換にビールと焼酎を飲んで0時過ぎに就寝しました。
昨日同様2階の寝室ではなく、1階の和室で横になった私は疲れとお酒のおかげですぐに眠ってしまいました。
1時間後、昨日以上の地震に襲われることも知らずに・・・
本震(平成28年4月16日、土曜日、1時25分)
疲れとお酒のおかげでぐっすり眠りについた矢先、その揺れはいきなり私たちを襲ってきました。
28時間前に起きたマグニチュード6.5、 震度7の地震が本震で、あとは余震が続くものだと思っていましたが、今度襲ってきた地震は28時間前の地震をはるかに上回るものでした。
マグニチュード7.3、 震度7の地震だったんです。
ちなみに気象庁の震度階級で最も大きい震度は7で、それ以上の震度はありません。
揺れの大きさ、時間の長さは28時間前の地震よりはるかに大きなものでした。
もし、7より大きい震度階級があれば、震度7強もしくは震度8クラスの地震であるように感じました。
マグニチュード7.3 は1995年(平成7年)に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)と同規模の大地震になります。
今回の熊本地震は震源の深さが10km程度と浅く、地震の規模に対して揺れが強いことが特徴です。
結局、この地震が本震と位置付けられ、28時間前に起こった地震は前震と呼ばれるようになりました。
本震と余震という言葉は聞いたことがありましたが、前震なんて言葉は初めて聞きました。
この本震が熊本に大きな深手を負わせてしまったんです。
ものすごい揺れでした。
私も家内も寝ていましたが、布団から一歩も動けませんでした。
この本震の直前まで片づけをして、疲れて寝ていましたが、これは我が家に限った話ではありません。
地震後、友人や知人と話をするとほとんどの人が同じ行動をとっていたんです。
28時間前の前震が今回の本震であると思っていたため、余震は続くだろうが取りあえず家の片づけをしていたんです。
そして、私たちと同じように疲れて寝ているところをこの本震に襲われたんです。
このことは多くの不幸と一つだけ不幸中の幸いをもたらしました。
最大の不幸は、28時間前の前震でダメージを受けていた家屋等に決定的なダメージを与えたことでした。
被害の大きかった益城町では、前震では建っていた建物もこの本震で倒壊するケースが相次ぎました。
前震と余震で済んでいれば倒壊しなかった建物も多かったはずです。
この本震は決定的に追い打ちをかけたんです。
別の不幸は、本震の直前まで懸命に片づけたものが全て無駄になり、更に酷い状況になって被災者のモチベーションが極端に下がったことです。
友人が言っていましたが「やる気が全く起こらない」といった状況になってしまったんです。
私もそうでした。
あれだけ家内と頑張って片づけをしたものが、さらに酷い状況になりました。
無力感というか脱力感というか絶望感に苛まれます。
このことは会う人、会う人皆が口を揃えて言います。
一方、不幸中の幸いは本震の発生した時間が深夜1時25分だったことです。
上述のように、多くの熊本県民は疲れ果てて布団の中で寝ていたはずです。
立っていればそれだけでケガにつながるような揺れでした。
また、私の近所の3階建てのスーパーは2階と3階が崩落し、1階の食品売り場が潰れてしまいました。
もし、地震が昼間に起こっていれば、そのスーパーだけでも多数の死傷者が出ていたはずです。
家内も私の母もそのスーパーを頻繁に利用していました。
考えるだけでゾッとします。
また、阪神・淡路大震災の場合は火災も多く発生しましたが、地震が深夜であったため火災は少なく済みました。
深夜で寝ていた人が多かったことが不幸中の幸いと書きましたが、中には1階で就寝中に2階が崩落して亡くなった方もいらっしゃいますので、こういう書き方をすることが失礼に当たってしまうこともあろうかと思いますが、その点はご容赦ください。
話を本震の状況に戻します。
深夜1時25分に襲ってきたマグニチュード7.3、 震度7の地震は28時間前に起きたマグニチュード6.5、 震度7の地震とは比較にならない程の破壊力でした。
いつもと違う1階和室に寝ていた私たち夫婦は、あまりの揺れの凄さに布団の中で身動き一つ取れませんでした。
念のために常夜灯と足元灯を灯して寝ていましたが、地震直後、即、停電し、外の街灯も消え暗闇に包まれました。
リビングに置いていた携帯電話の緊急地震速報が鳴り響いています。
暗闇の中、食器の割れる音、物が倒れる音が続きます。
ご近所のあちこちからも携帯電話の緊急地震速報が鳴り響き、子供や女性の悲鳴や叫び声が聞こえます。
私は家内に覆いかぶさり揺れが収まるのをひたすら待ちました。
しかし、この本震は揺れている時間がとても長かったんです。
最初に突き上げるような物凄い揺れから始まり、小さな揺れになったかと思えば再び大きな揺れを繰り返し、正確な時間はわかりませんが10分以上揺れが続いたように感じました。
家内も10分以上揺れていたように感じたそうです。
ようやく揺れが収まり、近所の人たちは一斉に外へ出てきました。
隣の実家の弟もとにかく外に避難しようと声をかけてきました。
私は着替えと携帯電話を取りに行く際、割れた食器の破片を踏み、足にケガをしました。
やっとのことで私と家内もパジャマを着替え外に出ました。
2時間前までお酒を飲んでいた私もすっかり酔いが醒め、まるで悪夢を見ているようでした。
そして、その夜は近所の方たちと近くの路上で一夜を過ごしました。
4月の熊本とはいえ、深夜は冷え込みます。
路上に敷物を敷き、毛布を持ち寄り夜が明けるのを待ちました。
私の両親を含め高齢の方も多く、大きな余震の続く路上での一夜はかなり堪えたようです。
私の父は介護が必要であり、路上で過ごすことは無理だったので、私と父は私の車にエンジンをかけ暖房を入れて過ごしました。
暗闇の中、上空には無数のヘリコプターが飛び交い、路上では地鳴りとともに余震が発生し、各自が持つ携帯電話の緊急地震速報が鳴り響く、本当に悪夢のような夜でした。
東の空が白み始めると少しホッとすると同時に、この本震がもたらした甚大な被害が徐々にわかってきました。
私の近所を見渡すだけでも、家屋の屋根瓦は落ち、ブロック塀は倒壊し、壁は剥がれたりヒビが入ったり、酷いところは家が倒壊していました。
前震の時はここまで酷くありませんでした。
夜明けとともに現実を知り、ご近所の皆さんもかなりのショックだったと思います。
しかし、生きていること、ケガのなかったことだけでもよかったと皆さんと励まし合いました。
電気、ガス、水道のライフラインは完全に寸断し、情報はラジオやカーナビのワンセグテレビで入手するしかありませんでした。
私は車内のカーナビでテレビを見ていましたが、市民のシンボルである熊本城の石垣が崩壊していたり、益城町や西原村では多くの家屋が倒壊していたり、最もショッキングだったのは南阿蘇の入り口である阿蘇大橋が崩落していたことでした。
考えられない現実が熊本に起こっていることを悟りました。
これを引き起こしたのがこの本震でした。
余震(平成28年4月16日の本震以降)
本震のあった平成28年4月16日は、本震発生後も震度5以上の余震を8回記録しました。(そのうち震度6以上は3回)
翌日以降は震度5以上の揺れの大きな余震は少しずつ減ってきましたが、震度1以上の地震は4月14日夜から5月7日までに計1,300回を超え、この記事を書いている5月9日現在でも震度3程度の余震が続いています。
今回の熊本地震は余震の数が多いことが特徴です。
よく比較される中越地震は余震の回数が1,000回に達したのは本震の1年後らしいので、今回の熊本地震がいかに余震が多いかわかります。
まだ当分余震は続きそうです。
早く平穏な日常が取り戻せることを切に願うばかりです。
以上が私の体験した熊本地震です。
なお、熊本地震を経験して地震への備えと対策をまとめた「地震への備えと対策.com」を公開していますのでよかったらこちらも覗いて見て下さい。